治療過程・病状の変化 其の三


閑話休題、愛鳥の闘病記録へ話を戻したいと思います。
またしても長くなってしまいますが、ご容赦下さい。

前回の記事でも述べた通り、肛門部を太い糸で縫合していたにも関わらず卵管が再脱出し、またしても抗炎症剤に頼る羽目になりました。
退院時は細めの糸で再縫合しこれを維持する様指示を受けました。

「糸がさすがに太すぎて、違和感からいきみ過ぎたのかもね」
との事。
薄々分かっていたのですが、そろそろ覚悟を決めるべきかと思い先生に訊ねました。

「これは、治療ではなく延命なのでしょうか」
すると、
「そういう事になりますね。良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、付き合っていくしかないです」
と返ってきました。
また、これまで抗炎症剤と聞いていた薬剤の名称を恐る恐る聞くと、やはり
「デキサメサゾンです」
と言われました。

そうであれば、とプクさんの退院直後に酸素濃縮器のレンタルに踏み切りました。
4月下旬の事です。
よもさんの事があってから調べていたので、レンタルする業者と機種は既に決めていました。
ユニコムの「オキシビーナスミニ 1000」です。
基本契約料5000円と月のレンタル料を合わせて初月は11800円、翌月からは6800円を振込払いするシステムになっています。

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ビニール袋で密閉したケージ内に酸素濃縮器のチューブを差し込みます。

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酸素の濃度には十分留意しなければなりませんし、付近では火器厳禁です(適切な酸素濃度は失念しましたが、取扱説明書に明記されています)。
加湿、保温も継続して行います。

獣医さんから「まだ今は必要無いだろう」と言われていましたが、私自身が何かしていないと精神的に持ちませんでした。
何より、この入退院を機にプクさんの嘴はよもさんの時と同じ様に生気を失い、一気に弱々しくなってしまった。
これまでは卵管脱を繰り返しながらも目に力があったし嘴も赤かったし、朝の溜めフンさえ乗り切れば排泄も何とか出来ていたのに。
体重もどんどん落ちていきました。一時はセキセイインコ並と言われ、最低でも26gを切る事が無かったのに、下手すると22g前後をうろうろする程になってしまったのです。

とにかく栄養がいる、食べさせなければ。
ペレットと卵殻をすり鉢で粉にしてムキ餌にまぶし、粟穂も小松菜も豆苗も常時設置し、
定期的にシリンダーでブドウ糖を与えました。飲み水にはペットチニックを。

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ケージ内は極力バリアフリー化を図りました。底網の位置は限りなく止まり木に近い所まで底上げし、ひよこ電球の位置も調整しています。

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卵の黄身と白身も、塩土も、良し悪しが分からなくても、食べたがる物はとにかく与えました。
白身は弱っている文鳥には禁忌だという記述もネットで見受けられましたが、もう私には何が正しくて何が間違っているのか見極められませんでした。良いと言っている一方でダメだという意見もある。そういう情報に振り回されるのはもう止めよう、自分は今お世話になっている獣医さんの意見を信じよう、そう思いました。
トウモロコシもスーパーに並んだのを見かけて、すぐに買いました。

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スイカもあげました。

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自己満足だったかもしれませんが、好物を好きなだけ食べて欲しかったのです。

抗炎症剤(デキサメサゾン)は、出血がひどい場合に一滴直接投与、と指示を受けていました。
よもさんの場合は飲み水に混ぜて毎日与えていましたが、プクさんは1日おき、あるいは2日おきに与えているという状況でした。
思えば退院後バカみたいに元気だったのも、デキサメサゾンによる所が大きかったのかもしれない、と考えています。
外からステロイドを投与する事で一時的にドーピング状態になるものの、自前の副腎ホルモンの生成能力が落ちる、或いは回復してきてもそれが調子を保つ量に及ばず失速していく、そういう事だったのでは。しかし、全て推論に過ぎません。

ある日、昼に一時帰宅して様子を見ていたら尋常でなくいきみ始め、どうしたのかと凝視していると、みるみる内に卵管が出てきてしまいました。
かなり赤く腫れており、もはや綿棒で押し込む事も難しかったので急遽午後休を取りタクシーで病院へ向かいました。
先生は休診時間中にかかわらず連れてきてと仰って下さったのです。
様子を見ていただいた所、どうも卵管から茎の様なものが生え、その先が腫瘍状になっていると告げられました。
これを押し戻す事は簡単だけれど、おそらく間を空けずにまた脱出するであろうとの事でした。

そこで
「茎の部分を糸できつくしばり、血が行かない様にしてこの出来物が自然にぽろっと取れる迄様子を見てはどうか」
と提案がありました。
かなり迷いましたが「全ての元凶がこの出来物(腫瘍?)であれば、劇的に快方へ向かうかもしれない」と考え、お願いする事にしました。
この間、プクさんは病院で過ごす事になりました。
入院二日目には、出来物は順調に萎縮し壊死に向かっているとの事だったのですが、それより本鳥の衰弱がひどく、先生も
「ここからは体力勝負になってくる」と硬い声音でした。

5月15日。日曜日でしたが、許可を取ってK氏と二人でプクさんを見舞いに行きました。痩せて小さくなった体はよもさん程の大きさになり、野太かった鳴き声もまるでよもさんの様に細く高い物になっていました。

連れて帰って、自宅で看取ろうか。

色々な考えが去来しましたが、先生の「何とか元気にして返したい」という言葉に希望を託し、引き続き入院させて頂く事にしました。

これが癌なのかどうかは生体検査すれば分かる事なのでしょうが、小鳥の、それも弱っている体にメスを入れる事は出来ません。
出来物の根元を縛りあげ壊死させるという方法は、先生と私の賭けだったのです。
しかし、この方法が功を奏する事はありませんでした。
翌日の早朝6時半頃に亡くなったと連絡があり、私は午前休を取ってプクさんを迎えに病院へ向かいました。

「ずっと踏ん張って、頑張って立っていました」
「とにかく、命を使い切って逝ったという感じ」
「最後はころん、と転がってそれっきり」

萎縮し、ほぼ壊死していた出来物を切除して頂き、家へ連れ帰りました。

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亡くなった週の土曜日に、よもさんと同じ霊園で火葬をして頂きました。
この日はよもさんの四十九日でもあったのでその法要もして頂き、2羽の骨壷を抱えて家路に着きました。
よもさんを追いかける様にプクさんも逝ってしまい、家の中はすっかり静かになってしまいました。

治療過程については書き洩らしている所もあると思いますが、概ねこの様な感じです。

調べていない以上確実な事は言えないと先生が仰っていましたが、個人的には腫瘍と考えた方が納得の行く面が多いです。
卵管脱を起こし入院する度に元気になって戻ってきていたのは、やはりステロイドの影響でした。
ステロイドの効果には目を瞠る物がありますが、それが及ぼす副作用もまた厄介なものです。
しかしステロイドに頼らなければ、そのまま炎症に負けて、もっと早くに命を落としていた可能性もあります。
問題は、そこをどう考えるか。
言葉を持たぬ小さな生き物の命を預かる者として、ステロイドで延命し続けた事は、良かったのか否か。
飼い主のエゴで苦しい、辛い思いを強い続けてしまったのでは。

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こうした個人的心情を吐露する事は、次の記事で最後にしようと思っています。
(これからも時折、思い出として写真をUPする事はあるかもしれませんが)