【社長は】夏目漱石:文鳥【三重吉】


夏目漱石の作品に「文鳥」という私小説があります。
文鳥愛好家の中には「文鳥」というタイトルだけで「夢十夜」を手に取られた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

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そういう私は、ずっと漱石の文鳥を知りながらも中身までは読もうとしませんでした。
しかし、先日友人によもさんとの出会いを説明したところ夏目漱石の「文鳥」のようだと言われ、そう長い話でもないし読んでみる事にしました。

漱石は自分の門下生である鈴木三重吉から「ぜひ文鳥をお飼いなさい」としきりにすすめられ「そうかそうか」と頷く内に話が進み、文鳥を買う為の費用を請われます。
実際に文鳥が家に来てみると漱石の心は浮き立ち、昔想っていた綺麗な女性と文鳥を重ね合わせ、執筆中はその鳴き声に癒されます。

端的に言えば、この鈴木三重吉が「社長」であり、漱石先生が「私」だという事になります。

私の場合は社長に「一人暮らしが寂しいなら文鳥がいい」と言われ「はあそうですか、いいですねえ」と言っていたらいつの間にかペットショップに連れて来られていた、というのが事の始まりです。
作品の展開は現実の私とは当然違う方向に進むわけですが、文鳥愛好家からすると非常に悲しい結末ですね。
興味を持って世話を始めたものの、寝起きが悪かったり用事が他にあったり、となんだかんだで世話が疎かになり、ついぞ文鳥がお星様になってしまうからです。
友人も「自分のせいで死んだのに、何かめっちゃ八つ当たりしてんねん」と言ってました。作中では家人のせいにしたり、飼う事を勧めてきた三重吉に非難の便りまで出しています。

とは言え、やはり夏目漱石の表現力には圧倒されます。
(以下、青空文庫から引用)

「文鳥の目は真黒である、瞼の周囲に細い淡紅色の絹糸を縫いつけたような筋が入っている。眼をぱちつかせるたびに絹糸が急に寄って一本になる。と思うとまた丸くなる」

「やがて一団(ひとかたまり)の白い体がぽいと留り木の上を抜け出した。と思うと綺麗な足の爪が半分ほど餌壺の縁から後へ出た。(中略)さすがに文鳥は軽いものだ。何だか淡雪の精のような気がした」

「文鳥は例に似ず留り木の上にじっと留まっている。よく見ると足が一本しかない。(中略)いくら見ても足は一本しかない。文鳥はこの華奢な一本の細い足に総身を託して黙念として、籠の中に片づいている」

また、友人が本当にそんな音がするの?と聞いてきた比喩が

「ふと妙な音が耳に這入った。縁側でさらさら、さらさら云う。女が長い衣の裾を捌いているようにも受取られるが、ただの女のそれとしては、あまりに仰山である。
雛壇を歩く、内裏雛の袴の襞の擦れる音とでも形容したらよかろうと思った。自分は書きかけた小説をよそにして、ペンを持ったまま縁側へ出て見た。すると文鳥が行水を使っていた」

よもプクは水浴び中、バタバタ言ってるだけのように思いますが、努めて情緒的に想像するなら、さらさらと聞こえなくもないでしょうか(いやー聞こえんな)。
何にしても、飼っている者のみぞ知る文鳥の仕草をつぶさに、美しく表現されているという点からも、漱石先生は文鳥にメロメロだったのでしょう。
自分が世話を怠ったばかりに死なせてしまい、やり場のない怒りを周囲に向けてしまったのかもしれません。何でもっとちゃんと世話してやらなかったんだと悔しかったのでしょう。
作品では一貫して儚い存在として描かれていた文鳥。当時は飼育環境から考えても、そう長生きしなかったのだと思われます。

社長自身、昔家族で飼っていたようで10年近く生きたそうです。
挿し餌のよもさんを仕事で見れない間、会社で社長が世話してくれました。
新たに動物を飼うには年を取り過ぎている、けれどまた文鳥を身近に感じたい。
そこで社長は、三重吉の如く私に強く勧めて来たのかもしれません。
文鳥はどこにでもついてくるんや、かわいいんやで~と目を輝かせて語っていたのを思い出します。
プクさんを拾った時も名前考えたるわ!と意気込んでいましたが、発案したのが「ジョモさん」だった為却下させて頂いたのも懐かしいです(何か故人の話みたいになっちゃいましたが、社長はまだ健在です。もうお爺ちゃんだけど)。
何だかんだで、私は社長に文鳥の世界を教えて貰ってとても感謝しています。

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「ん?」

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よもさんは呑気なものです。